みんなのいる世界
夏目漱石が「兎角この世は住みにくい」と書いてますがなんともその通りで、人のことはすぐ好きになっちゃうのに自分のことはなかなか好きになれず、卑屈の末にごろごろと文字を書きっつらねる朝10時でございます。
そんなわたしにも、最高の誕生日がありました!
昭和最後にうまれた28歳。どうやら女。こんなにたくさんの人に祝ってもらったのは初めてなんじゃないでしょうか。
まずは誕生日当日、7月16日。日付が変わって、たくさんのリプライをいただき信じられなくて、帰路の電車で目をぱちぱちさせていました。本当にありがとう。
その日は勤めているカレー屋の大掃除。うちのカレー屋さんはなかなかに狂っているので、ディナーでのスタンプを100ポイント集めると「店内掃除ができる」という意味不明な企画を執り行っていて、そんな狂った所業になんと3名ものお客さんが参加していました。
そんな捨て身なお客さんにも、スタッフにも掃除をしながら何度もおめでとうをもらい、相変わらず馬鹿笑いしながらカリガリを掃除したのでした。
誕生、というピカピカなイメージの日に、どろどろになりながら掃除しているなんて私らしくて最高でした。
次の日。17日。誕生日イベントをこれまたカリガリでやらせてもらいまして。
私らしいことを、ということでカリガリスタッフを使った「劇団カリガリ」の旗揚げ公演!という名目のこれまたアホな企画でした。
オーナーにお婆ちゃんを、フロアディレクターにお母さんを、アイドルに娘(小5)をやらせ、わたしも小5設定で(28だというのに)茶番劇。笑ってもらえてよかったよかった!
劇団カリガリの次回公演は10月16日のカリフェス2(仮題?)にて。
お客さんたちから、ケーキに、花束に、メッセージブックまでプレゼントしてもらいました。メッセージブックは、私が似顔絵屋さんでみんなの似顔絵を描いているから、ってことで、みんなが私の似顔絵を描いてくれてました。なんだよ。息子娘なのかよ。
泣きそうになったけどみんなが「泣いてる?」って茶化すから泣かなかったよ。
自主企画で芝居をやってはいるものの、自分が真ん中、なんてことは初めてで、緊張したし「本当に人が集まるの?」とも思ったし、お礼も上手く伝えられなかったかも。だけどイベントはすごく楽しかったし、イベントに来られなかった人たちからもお祝いしてもらえて、本当に良い誕生日でした。
みんなのおかげで、自分がずいぶん好きになれるよ。
27歳の目標は確か「生み出してゆく」でした。まるゆめを始動させ「ここは公共の電波です。」「スプリング・キャロル」と二本上演できました。ミュージカルサークルS&Dの新歓公演「夢がはじまる街」も脚本・演出させてもらったし、カリフェスでも台本書いたり。似顔絵屋もなんだかんだ一年を経過。
ううん、でももっと創りたい!
そんなわけで、28歳の目標も「まだまだ創る」だけど、より進化させていかなくてはならないなと日々感じています。うん。「なにやら面白そうだぞ」から「やっぱり面白かった!」にしなくちゃね!
あとは、新しいひとりぼっちのパフォーマンスをひとつ、またどこかでお見せできればなと企んでおります。うまくいくのかな?わたしにもわからない。
いつもわたしにもわからない世界を見せてくれてありがとう。
みんなのいる世界に産まれてきたわたし、産んでくれた両親、ナイス!
夏の刃物
ああ、時間がびゅんびゅん通り過ぎていく。
初夏ですね。7月です。
どうしても春のうちにやりたくて5月にねじ込んだ「スプリング・キャロル」からもう二ヶ月が経とうとしているなんて、お礼のブログも書かず申し訳なさもあり、「お礼のブログなんて必要があるのか?」という疑惑もあり(そりゃあ書いた方が良いのは良いのだけれど)
ひらたあや企画まるでゆめのようだの第二回公演「スプリング・キャロル」のこと、もう随分前のことのように感じられますが、みなさんご来場本当に有難うございました。
次回やりたいことは少し決まっているので、どんどこ詰めていかねばなりません。
さて、まるゆめが終わり、夏にもなにか仕掛けたいなと思いつつも、カレー屋の「カリフェス vol.1.5」があったり、今年のクリスマスに行われるミュージカルサークルS&Dの本公演の脚本・演出の打ち合わせがあったり、今月は誕生日のイベントを打ったりもするのでなんだかんだ忙しくしています。
それでも仕事がないように感じるのは貧乏だからでしょうか。
お仕事ください!
…なんて言って仕事をもらえるパワーはないので、自分で作っていかにゃーなりません。最近は芸事をやりたいと言っている方々でも、「この人なにをやってるんだろ?」という印象の人(悪い意味で)が多いなと感じるので、アレコレ手を出している自分も同様に、「わたしは演劇屋だぞ」という主張と仕事は欠かさないように頑張りたいですね。
最近は、舞台を観て、役者の友人と感想を話したりすると「すっかり創る側の目線だね」なんてよく言われるようになりました。(って一人につき一回しか言われないけど)
確かに以前は「やるならあの役がやりたい」とかそんなことを思っていた気がしますが、今は役者としての欲が自分でも感じられないなと思います。こういう作品をやりたい、とか、これなら時代をこうした方が面白い、とかそんなことばかりです。このシーンがあると分かり易かったかもしれないなとか。
たまには役者もやりたくなったりするのよ。
結局は、目立ちたがりの出たがりですからね。
だけど自分自身を褒められるのは結構照れ臭いな、というのこともここ最近で気がつきました。「あの役よかったよ」はガッツポーズできてたんですけどね。やっぱり少し違うみたい。
子供の頃からぽっちゃりで、チビで、知ったかぶりの根暗のブスなので、上手にお返事できませんが、褒めてもらえるのはありがたいことです。恥ずかしいけど。
愛される才能、も人によってあったりなかったりするなあ、と思わされますね。皮肉でも卑屈でもなく、本当にあるとおもう。わたし自身には愛される才能はあまり無いので、ものを創っているのかな、と思うこともあります。
創ったものが愛されるよう、発見のある面白いものを創っていきたいなあと、誕生日を目前に考えている初夏なのでした。
もうすぐ28歳で本格的にアラサーというやつです。
たのしみだ。
最近何をしてるかっていうと、
脚本を書いてます。
ぜんぜん、進んでないんですけど。
進まなくて。
前回はきちんと作ったな、って感じで。今回じゃあ、どう作りたいかって思った時に、ただちゃんと作るだけじゃ嫌で、悶々としたまま筆がドロドロに重い状態です。
脳みそ腐ってるのかな。ううん。
まだタイトルとか諸々が仮なので、なんて告知したらいいのか分からないんですけど、5月の20、21日を空けておいてほしいな。よかったら、どんなもんが出来るかはギリギリまで謎な気がしますが、是非とも予定を空けておいてくださると喜びとプレッシャーで変な顔をするひらたが見られます。
5月20日金曜、21日土曜
よろしくお願いいたします。
関係ないはなし。
色々なものをインプットするたびにおもうのは、
私は本当につまらない奴で。好きな人には、こんな歳までこんなことやってる奴は普通じゃないから安心しなよと言われましたが、ほんとは、もっと自由奔放な、勢いのある、助けたくなっちゃうようなかわいい人になりたかったな。
かわいい、っていうのは愛嬌のある、とかそういう意味で。
わたしって愛しがいがないでしょ?そうおもうの。
だからこそ何かを作ってるんだと思うの。わたしじゃなくて、わたしの作ったなにかを触って感じて、楽しんだり、ムカついたりしてほしい。
お芝居をやってると思ってもみないことをお客さんが感じ取ってくれることがある。あれってこういう意味ですよね?とか、ここのシーンが自分と重なりましたとか、あそこでこう思って泣いてるんだなってのが伝わってきました!とか。
だいたいそういう感想を言ってくれる人は嬉しそうな顔をしてて、そんな風に作っていなかったんだけどな、って思いながらもキュンキュンする。作品を受け取ってもらうことってこんなに嬉しいんだな、って毎日思いながらお芝居してた。
演者が作品にのっとってキュンキュンして、お客さんがキュンキュンしてくれたのを受け取って、演者がキュンキュンする、最高のループ。
お芝居だけじゃないとおもう。お芝居だからこそのトキメキも作りたいな。
もう27歳だし、どんどん頑張らなくちゃな。
毎日はどんどんすぎるけど、怖気付いてもはじまらないからね。負けないぞ。
どうでもいい話聞いてくれてありがとう、おやすみなさい。
お久しぶりですひらたです。
みなさんお元気でしょうか?ひらたです。
気づけばまったくブログというものを書いておりませんでした。いやぁ、すまんすまん。今私は、もうほとんど味のない緑茶のティーバッグにお湯を注ぎ、緑茶みたいな白湯みたいなものを飲んでいます。ティファール便利すぎ。
最近は日々カレー屋でカレーを運び、家に帰ると絵を描いたり脚本を練ったりしています。
5月の後半に、またまるゆめの新作をやれればなと思って脳みそこねこねしています。
それとは別に、やっぱりもう少し活動を増やしたいなと思っていて。一人朗読劇なんかをやるのはどうかな?と考えています。絵本読んだりしたいな。朗読劇ってどういう本を読むもんなんだろう。あんま観たことないや。
読んでほしい本募集。?
シェイクスピアをわいわい読んだりとかもおもしろそう?そんなんできんのかな?
あ、あとは四季の時の同期が立ち上げた「S&D」という大学生のミュージカルサークルで教えをやったり、演出をやったりもしています。大学生かわいいです。変な意味じゃないよ。
4月に新歓公演なるものがあるらしく、そこにも関わらせてもらうことになりそうです。演出もテンポよくやりたいなと前回のまるゆめで思ったので、勉強させてもらいます!よろしく、星くん。
そんな感じで色々企んでおるわけですが、もっとどんどん実行に移して、歩き出さないとなあ。と、最近横っちょにいるアイドルちゃんを見て思う所存です。
泣いたり笑ったりしながら走ったり転けたりしているのもすごく面白いし、周りで一緒に泣いたり笑ったり担いだり転んだりしているヲタたちもすごく面白い。アイドルは作品、それか集合住宅地だなあ、と。こちらも勉強になりますね。秋葉原最高。
カリガリという秋葉原のはしっこにあるカレー屋さん。アイドルとかいるけどただのカレー屋さんです。来たことのない方も是非いらして、体感して、そして私といろいろ喋ろう。
わたしはいろんな人の気持ちや行動やしゃべり方を見て、おもしろがるのが好きなんです。落ち込んでること、悩んでいること、普通の人に言うと引かれちゃいそうなこと、なんでも聞いておもしろがるのでどうぞ話しておくれ。
さて、久々のブログこんなものかな。
たまにはね、書くね。笑
えーと、告知!
今月は2/27土曜日に渋谷ギャラリーコンシールにて似顔絵屋さんがあります!
13:00〜21:00の時間予約制!
1drink付の2000円でお一人様45分くらい!
ツイッターのリプライやDM、もしくは tsuguniph@yahoo.co.jpに名前と希望時間を書いてメールするのだだだ!みなさんよろしくどうぞ!
おやすみ@
まるでゆめのようだ「ここは公共の電波です。」終演
お久しぶりです。知らぬ間に風も冷たくなり、すっかり秋です。
そんな中ひらたは初の自主公演というのを終わらせてこれを書いています。
ひとりぼっちの企画「まるでゆめのようだ」が始まりました。
まずは足を運んでくださった方々、応援してくださった方々、協力してくださった方々、本当にありがとうございました。
初めてなのに見境もなく脚本も演出もわたしがやる!と意気込み出来上がった作品「ここは公共の電波です。」仲の良い役者二人に支えられ、手伝ってもらい、なんとかかんとかはじめて、終えることができました。だから正確にはひとりぼっちじゃないんですけどね。あさみ、彩乃、ありがとう。
「劇団四季」という場所では、綺麗に製本された台本が渡され、指定された役を体に叩き込み、先輩や演出家から言葉をもらえ、現場に行けば舞台があり、道具があり、衣装があります。そして幕が開けば客席にはお客さんがいて、拍手をしてくださる。
それがどれだけすごいことなのか分かっていたし、その状況の分「劇団四季」の看板は大きく、重かった。
それに対して「まるでゆめのようだ」は看板すらありません。
「わたくしひらたあやがやります!」と自分で作ったたすきをかけて、自作のフライヤーを配り、誰かの肩を叩かないと始まらない。
わたしは、一人でどこまでできるのか試したかったのかもしれません。
劇団を辞めたのも、「なんで?」と聞かれると「タイミングだと思った」などと答えておりますが、正直「守られた空間じゃなくたって、わたしはやっていける」という意地っぱりもありました。わたしの好きな劇作家さんはみんな意地っ張りでしたから、影響を受けたこともあります。
そんなこんなで今年の夏にギャラリーコンシールで「芝居がやりたい」と始まったわけです。
まるでゆめのようだ 第一回公演
「ここは公共の電波です。」
二日、二回公演で約90名ほどのお客様に足を運んでいただけました。
フルキャパは一回50名。それがギャラリーカフェの椅子の限界でした。キャストは三名のみ。もしかしたら、一回20人も入らなくて、カラカラで、椅子も余りに余って、笑えない状況になることを毎日考えていました。
カラカラの客席がシーーンと静まり返りぴくりともしない、という想像でずっとゲボが出そうでしたが、「観に行くよ」と言っていただけると今度は笑っていないその人の顔を想像してしまったりしてさらにゲボが…というループ。
「自分の中で経験や前例がない」ってことはこんなに怖いことなんだなと震えました。
ゲボゲボ言っていた結果、見えにくい席が出るという問題が発生するくらいお客さんが来てくださり、あたたかい空気に満ち満ちた中で伸び伸びと芝居をすることができました。
芝居というのは観てくれる人がいないと成立しない。
当たり前のことですが、腹の底からそれを感じた第一回公演でした。
感想もいただけ、問題点も山のように見つかり、お客さんから「こういうのも観たいかも」なんて意見までいただけてもう私は「ありがとうございます」の気持ちで涙腺も血管も爆発しそうですが、爆発をおさえて「次も頑張るので、またぜひ来てください」と自分にエンジンをかけたいとおもいます。
自分の心情ばかり書き連ねてしまいましたが、本作は「アパレル女三人の微妙な距離感」や「SNSとリアル」「女の子の夢が散ってゆく姿とそれに呼応する姿」などわたしが普段興味深く思っているものを書きました。
夢が散ってゆく姿はいつ見ても悲しく、しかし異常なこの世界から現実へ帰ってゆく人の背中はひとつ頼もしくなっていたりするもので。夢を抱いてキラキラしている姿にも、その頼もしさにも、嫉妬してしまうわたしの気持ちも混じっていました。
長くなってしまった。気持ちのことばかりで、読みづらくてすいません。
「まるでゆめのようだ」はいろんな形のお芝居をやっていこうと思っております。「なんでもありなんだな」なんて思いながら気軽に見ていただける、そんなものにしてゆくつもりです。
てんてこ舞いで必死に足掻くひらたあやのまるゆめに、今後もお付き合いいただければと思います。やってやんよ。